​ 「豚まん」と「肉まん」

​昨日のケンミンショー観た?
大阪特集やってんけど、551の豚まんの話題が出ててん。

え、551の豚まん食べたことないん?
え、あれめっちゃウマいからマジ食べた方がええで。てか、なんで食べたことないん?

テレビで出てくる人みんな551の豚まん絶賛しとったけど、あれは割とホンマやと思うわ。
豚まん嫌いっていう大阪人会うたことないもん。

大阪来たらお土産に買ってって。新大阪にも伊丹空港にも売ってるし。
ただし新大阪の551とか結構売り切れたりするから、夜遅くに帰る場合は要注意な。
チルドのやつやなくて、ちゃんと蒸してあるやつの方がオススメやね。多めに買って、帰ったらすぐ冷凍庫入れとき。

ちなみに底についてる木の皮剥がしてから冷凍した方が、あっためなおしてから剥がすより、豚まんの皮の持ってかれ率が下がるで。


でな、そのテレビの中で「551の豚まんは豚と玉ねぎだけしか使うてないから『豚まん』。あとは『肉まん』やねん」って言っててんけど、それは間違いやと思うわ。

余計なものが入ってへんから「豚まん」いうてるんちゃうねん。

大阪ではな、「肉」って単語は「牛肉」を指すんよ。だいたいは。
やから大阪では肉じゃがの肉は牛肉やねん。
てゆうか、肉じゃがの肉が豚肉のとこがあるって聞いたときはびっくりしたわマジで。
甘みが全然違うくない?

ちょっと話それるけど、大阪の料理って味付け甘めなんよね。
煮物とかめっちゃ砂糖入れるし。
うちの嫁の実家とか行くと、やっぱ味付け全然ちゃうんよね。
それはそれで美味しいねんけど、体に染み込んでる味はやっぱり自分のおふくろの味やから、自分で作るときはやっぱ甘めに作るよね。

あ、でも卵焼きが甘いか甘くないか論争はちょっと別の話やと思うわ。
ちなみにうちは甘め派やけど、大阪やから全員甘い卵焼き派ではないで。たぶん。知らんけど。

ごめん、それで話戻すけど、「肉」っていうのはだいたい「牛肉」やから、豚肉の時はちゃんと「豚」って言うことが多いんよ。
そういえば鶏肉のことも「かしわ」って言うしな。
うちのニュアンス的には「かしわ」って「鶏もも肉」のことを指すんやけど、実際どうなんやろ?
ちなみに「かしわ」って言うのは大阪弁ってわけちゃうくて、関西以西で使われる言葉みたいやわ。
東京の人には通じひんのかな?

また話逸れてたわ。ごめんごめん。
ゆうてももう言いたいことだいたい言ってもうてるねんけどな。
牛肉である「肉」と区別して「豚」って言葉を使ってると思うねん。
でもスーパーとかで牛肉買う時はやっぱり「牛肉」言うし、日常会話で「肉」=「牛肉」って訳ではないねんけどな。
単語の中に出てくる「肉」って言葉については、って感じなんかなあ。うまく説明できひんけど。

なんでかはよう知らんねんけどな。
多分やけど、大阪人は「牛肉」っていうごちそうを、他の肉と区別するために、牛肉だけ「肉」っていう言葉を使ってるんちゃうかなあ。
やっぱ「牛肉」って高いし、たぶん昔はもっと高かったと思うから、なかなか食べられへんかったんちゃうかな。
やから、他の肉に「豚」とか「かしわ」とか別の名前を与えて、とびきりのご馳走である牛肉だけを「肉」って言葉を使うようにしたんちゃうかなあ。

やから、551の豚まんは「肉」じゃなくて「豚」使うてるから「豚まん」になるわけやな。

知らんけど。

 

「おっちゃん」と「おじさん」

昨年甥っ子が産まれた。
僕ももうおじさんである。

出身が関西なので、僕は自分の叔父のことを「おっちゃん」と呼んでいた。
地元の友人なども甥っ子が生まれたやつが何人かいて、「俺もついにおっちゃんですわ」みたいな会話をしたり。

ところで、嫁は叔父さんのことを「お兄ちゃん」と呼んでいる。
どうやらそう呼ぶように教えられたらしい。

おにいちゃんと呼ばせる理由は、「おじさん」と呼ばれるのがいやだったから、らしい。

僕は以前これが理解できなかったが、最近ようやく理由が分かった。
そもそも一般的に「おじさん」というのはカッコ悪い認識があるみたいだ。

なんで?おっちゃんってカッコよくない?

僕の親戚のおっちゃんはバーベキューとかで活躍したり、すごくいろんなこと知ってたり、大人になってからも美味い酒の飲み方を教えてくれたり、尊敬できる人生の先輩だ。

大阪では友だちのお父さんもおっちゃんと呼ぶのだが、友だちのおっちゃんも、面白い話で笑わせてくれたりしてPTAの行事で楽しませてくれたり、みんなに慕われていた記憶がある。

親戚のおっちゃんも友達のおっちゃんも、カッコよかった (もちろん全てのおっちゃんがではないけど)

この自分の感覚と、世間一般のおじさん=カッコ悪いという認識の違いは一体なんなのか。

どうも「おじさん」と大阪の「おっちゃん」は違う概念のようだ。

「おっちゃんになってしまった」と喋る友人たちはみんな、歳をとってしまったという焦りとも憂鬱ともつかないネガティブな感情だけでなく、「子どもの頃憧れたカッコいい存在になれた」という一種の誇りというか自信というか、そういった嬉しげなニュアンスを持って語るのだ。

「おっちゃん」と言うのは、子どもの頃憧れたような、カッコいい存在なんだ。

甥っ子くんはまだ喋れないけれど、僕も早くおっちゃんと呼ばれるようになりたいものだ。