家族写真

昨年、初めて家族写真を撮った。

日本全国、いろいろな土地で写真を撮るという、ちょっと変わった出張写真館で撮ってもらった。
たまたま近所のコミュニティスペースでやっていたのだ。

妻が散歩している時に見つけてきて、帰ってくるや「ねえねえ、家族写真撮りに行こうよ」と提案された。

「あのカメラマンさんは、いい写真を撮ってくれそうな気がするよ」
自信ありげにつぶやいていた。

確かに娘が産まれたのだし、プロの写真屋さんに家族写真を撮ってもらうのは悪くないと思った。
それでは早速と、いい感じの服を着て、髪をセットして出かけた。

写真館で出迎えてくれたのは、確かにいい写真を撮ってくれそうなカメラマンさんだった。
人気の出張写真館のようで、お客さんは県外ナンバーのクルマばかりだった。

会場となったコミュニティスペースは古民家を利用したもので、どこで撮っても絵になりそうな雰囲気だ。
「天気がいいので縁側で撮りましょう」と言われ、家族3人で縁側に座った。

0歳の娘がご機嫌でいてくれるかが気がかりだったが、気さくなカメラマンが体を張ってあやしながら撮影してくれて、終始笑顔だったと思う(カメラを見ていたので声でしか分からないが)

いまどき珍しいことに、モノクロフィルムの撮影で、なんと写真が出来上がるまでに2ヶ月ほどかかるそうだ。

たくさん撮った写真の中からベストな写真を選定して、きちんと現像して送るので、のんびりお待ちくださいとのこと。

なんだか良いなと思った。
撮ってもらった写真を自分たちで選べないのが良いし、届くまで時間がかかるのも良い。

妻は写真が届くのをとても楽しみにしていて、家に宅配便が来るたびに
「もしかして写真来たかな!?」
と言い、受け取ってみるとAmazonの荷物でがっかりしてを繰り返していた。
(ぬか喜びさせてごめん)

そして先週、とうとう待ちに待った写真が到着した。
木製の枠にきちんと貼り付けられた白黒の写真。縁側で笑顔でこちらを向く親子3人。
うむ。良い写真である。

「良いね〜、良い家族っぽいねえ」
妻は満足そうにつぶやいていた。

 

ファーストOO

先日、妻と娘がディズニーランドに行った。
娘はもちろん初めてのディズニーランドなのだが、
そういうキッズ(ベビー)には「My First Visit」というシールをもらえて、
キャストから「初めてのディズニーランドおめでとう!」と言ってもらえたりするらしい。

娘にとって、大抵のものは初めてだ。
当然である。
まだこの世に出てきて10ヶ月くらいしか経っていないのだ。30年以上の父とは初々しさがちがう。

赤ちゃんが人生で初めて履く靴をファーストシューズと呼ぶそうだが、娘にとってはもう何もかもがファーストなんちゃらなのだ。

ファースト離乳食。
数ヶ月前だが、彼女は生まれて初めて米を食べたのだ。
ファースト米。ファーストにんじん。ファーストとりのささみ。
(食べ物はアレルギーの可能性があるので、初めて食べるかどうかは結構気にするのだ)

ファースト散髪。
僕が爪切り用の刃渡り2cmほどのハサミでちょきちょき切った。
(これは僕にとってもファースト人の髪を切る経験だった。
初めてにしてはうまくできて満足だった。)

これからやることなすこと、初めての体験ばかりなのだ。
彼女の前に広がっている無限のファーストOOとの出会いたちが、彼女の人生を形作っていくのだろう。

 

電気シェーバー

電気シェーバーを買い換えた。
実は数年前から買い換えを検討していたのだが、今まで使っていたシェーバーの剃り残しがいよいよ目立つようになってきたので、ついに重い腰を上げて購入したのだ。

新しいシェーバーは、防水でシャワーを浴びながら使えるし、
自動で洗浄する機能がついているし、
何より剃り味がとても鋭くてめちゃくちゃ深剃りできて、
良い製品はやっぱり良いなあという、当たり前だが深い真理を感じたりした。

さて、今まで使っていたシェーバーは御役御免となったわけだが、捨てるのは少し憚られた。
このシェーバーは、ぼくが就職するとき、当時は存命だった母と一緒に近所の家電ショップで買ってもらったひとり暮らし家電セットの、手元に残っている唯一のものだからだ。
洗濯機や冷蔵庫と、新生活に必要なものを選んでいき、シェーバーも必要だからと一緒に買ってもらったものなのだ。
当時ヒゲを伸ばしたり伸ばしてなかったりしたぼくは、ヒゲトリマーつきのシェーバーを選ぼうとしたのだが、新入社員でヒゲを伸ばして出社するのはいかがなものか、という母の意見を受け、ごく普通のシェーバーを買ってもらったのだ。

だから残していたというわけではないのだが、洗濯機や冷蔵庫は人に譲ったり捨てたりで、最後に残ったのがこのシェーバーだった。
思い出深い、というほどではないが、捨ててしまうのはなんだか惜しい。
母との思い出をひとつ捨ててしまうように思えたのだ。

結局、このシェーバーは捨てずに実家に置いておいて、帰省した時に使う用にすることにした。

 

日曜日のパンケーキ

突然ですが、うちで作ってるパンケーキのレシピを紹介します。

A: 粉
– 小麦粉 100g
– ベーキングパウダー 5g
– 砂糖 10g

B: 液体 (合計125cc)
– 卵 1コ
– 牛乳

Aを全てボウルに入れ、粉だけの状態で泡立て器でかきまぜる。
こうすることで、ふるいにかけたように粉に空気が入り込むらしい。

次に、Bをカップ内でかきまぜ、Aと合わせてさっくりと混ぜる。
あまり混ぜすぎるとねっとりしてしまうので、少しダマが残る程度でよい。

フライパンをあたため、油をしいて弱火でじっくりと生地を焼く。
ふちが乾いて穴がプツプツあいてきたらひっくり返してさらに焼く。
焼き目がいい感じになれば完成だけど、火加減によっては中が生焼けになってしまう。
つまようじを刺してくっつかなかったら、中まで火が通っている。

スキレット的な小さい鉄のフライパンで焼くのが一番よい。
うちでは柳宗理のミニパン(16cm)を使っている。
上記の分量だと、2等分でちょうど大人2人分の朝食にぴったりなサイズができる。
2枚同時に焼くために、うちにはこのミニパンが2つある。
温度調整ができるガスコンロの場合は、160度に設定して焼くとよい。

うちでは普段の朝食は、前日の残りの味噌汁とご飯で、朝わざわざパンケーキを焼くのは、朝の時間に余裕がある休日だ。
そんなに難しくもないし、高級でもないのだけど、とても優雅な気分になれるのでオススメである。

@eternal_turtleがシェアした投稿

 

コインパーキングとの戦い

​今朝、出勤前に郵便局に行く用事があったんです。
なので、クルマで郵便局まで行って、そのまま駅の駐車場に停めて出勤したんですよ。

駅に近くて一番安い駐車場が1日400円なので、そこに行ったんです。
そこは前払い制で、先にお金を払う必要があったんですけど。

都会に住む人には1日400円の駅前駐車場も前払い制のコインパーキングも想像できないかもしれないですけど、あるんです。田舎には。

前払いがどういうシステムかというと、駐車する時間分のチケットを券売機で買って、それをフロントガラスに貼っとくんです。
で、いざチケットを買おうと思ったら硬貨しか使えないんですよ、その券売機。

信じられる??
普通のコインパーキングはクレジットカード使えるの当たり前のこの時代に、千円札すら使えないんですよ。
別の駐車場は600円だけどクレジットカード使えるし(というか後払いだし)、移動するかと思った所に目に入ってきたんです。

自動販売機。

これ絶対に確信犯でしょ。
「小銭がない者はさらにこちらでお金を落とすがよい、ふはははは」という駐車場の声が聞こえてきそうなくらいです。

くううぅぅ、でも600円の駐車場行くよりジュース買って小銭作って400円で停めた方がまだ安いし、絶妙な価格設定で攻めてきておる・・・・!!

結局仕方ないのでジュース買って小銭作ろうと思って、自販機に千円札入れてほっとレモンのボタンを押したら、出てこないんです。
あれー、と思ってよくよく見たら「売り切れ」だったんですよ。

もうね、人をもてあそぶのも大概にしてほしいもんですよ、このコインパーキング。
この寒い中自販機で飲み物買うとしたらほっとレモンしかないじゃないですか。
それが売り切れって・・・・
つぶつぶコーンポタージュも無しではないけど、これから電車乗るのにフタができないのはちょっと困る。
だいたいこの時期「あったか〜い」が1段だけなのがおかしいし、その1段のうち半分が缶コーヒーなのもおかしい。

買いたいものが何もないのに、何か買わねばならないこの状況・・・

・・・

完敗です。
そもそも選択肢なんて最初から与えられていなかったのです。
コインパーキングの手のひらの上で踊らされていただけなのです。

飲みたくもない缶コーヒー(フタつき)を買い、小銭を作って駐車料金を払い、電車に乗って出勤したのでした。

本日の教訓: 最近の缶コーヒーは意外とおいしい

 

​ 「豚まん」と「肉まん」

​昨日のケンミンショー観た?
大阪特集やってんけど、551の豚まんの話題が出ててん。

え、551の豚まん食べたことないん?
え、あれめっちゃウマいからマジ食べた方がええで。てか、なんで食べたことないん?

テレビで出てくる人みんな551の豚まん絶賛しとったけど、あれは割とホンマやと思うわ。
豚まん嫌いっていう大阪人会うたことないもん。

大阪来たらお土産に買ってって。新大阪にも伊丹空港にも売ってるし。
ただし新大阪の551とか結構売り切れたりするから、夜遅くに帰る場合は要注意な。
チルドのやつやなくて、ちゃんと蒸してあるやつの方がオススメやね。多めに買って、帰ったらすぐ冷凍庫入れとき。

ちなみに底についてる木の皮剥がしてから冷凍した方が、あっためなおしてから剥がすより、豚まんの皮の持ってかれ率が下がるで。


でな、そのテレビの中で「551の豚まんは豚と玉ねぎだけしか使うてないから『豚まん』。あとは『肉まん』やねん」って言っててんけど、それは間違いやと思うわ。

余計なものが入ってへんから「豚まん」いうてるんちゃうねん。

大阪ではな、「肉」って単語は「牛肉」を指すんよ。だいたいは。
やから大阪では肉じゃがの肉は牛肉やねん。
てゆうか、肉じゃがの肉が豚肉のとこがあるって聞いたときはびっくりしたわマジで。
甘みが全然違うくない?

ちょっと話それるけど、大阪の料理って味付け甘めなんよね。
煮物とかめっちゃ砂糖入れるし。
うちの嫁の実家とか行くと、やっぱ味付け全然ちゃうんよね。
それはそれで美味しいねんけど、体に染み込んでる味はやっぱり自分のおふくろの味やから、自分で作るときはやっぱ甘めに作るよね。

あ、でも卵焼きが甘いか甘くないか論争はちょっと別の話やと思うわ。
ちなみにうちは甘め派やけど、大阪やから全員甘い卵焼き派ではないで。たぶん。知らんけど。

ごめん、それで話戻すけど、「肉」っていうのはだいたい「牛肉」やから、豚肉の時はちゃんと「豚」って言うことが多いんよ。
そういえば鶏肉のことも「かしわ」って言うしな。
うちのニュアンス的には「かしわ」って「鶏もも肉」のことを指すんやけど、実際どうなんやろ?
ちなみに「かしわ」って言うのは大阪弁ってわけちゃうくて、関西以西で使われる言葉みたいやわ。
東京の人には通じひんのかな?

また話逸れてたわ。ごめんごめん。
ゆうてももう言いたいことだいたい言ってもうてるねんけどな。
牛肉である「肉」と区別して「豚」って言葉を使ってると思うねん。
でもスーパーとかで牛肉買う時はやっぱり「牛肉」言うし、日常会話で「肉」=「牛肉」って訳ではないねんけどな。
単語の中に出てくる「肉」って言葉については、って感じなんかなあ。うまく説明できひんけど。

なんでかはよう知らんねんけどな。
多分やけど、大阪人は「牛肉」っていうごちそうを、他の肉と区別するために、牛肉だけ「肉」っていう言葉を使ってるんちゃうかなあ。
やっぱ「牛肉」って高いし、たぶん昔はもっと高かったと思うから、なかなか食べられへんかったんちゃうかな。
やから、他の肉に「豚」とか「かしわ」とか別の名前を与えて、とびきりのご馳走である牛肉だけを「肉」って言葉を使うようにしたんちゃうかなあ。

やから、551の豚まんは「肉」じゃなくて「豚」使うてるから「豚まん」になるわけやな。

知らんけど。

 

2017年

明けましておめでとうございます。

クリスマスまで毎日更新するなどと自分で宣言しておきながら更新せずに1ヶ月放置してしまった。すみません。

無理な目標はたてるもんじゃないですね。
そもそもこのブログは自分が書きたいことを書くために始めたので、毎日更新しなきゃみたいな設定そもそも要らなかったです。今年もゆるりと更新していきたいと思います。よろしくお願いします。

さて、突然ですがうちに子どもが産まれました。
本当に子どもが産まれるいうのは、僕が想像出来る範囲をはるかに超えた奇跡みたいな出来事でした。

僕は5年ほど前に母を亡くしていて、病室で看取ったのですが、なんとなく、出産というのはそれに近い雰囲気のことなのかなあと思っていました。
病室で、家族とお医者さんと看護師に囲まれたて迎える瞬間。違うのは、命がひとつなくなるか、新しい命がひとつ増えるかということだけ。。。。
しかし(当然かもしれないけど)そんなに簡単な話ではなかったです。

先生の叫ぶような指示と、妻のうめき声とで、分娩室はまるで戦場のような状態。
まあ、出てくるときに赤ちゃんの心拍が下がってヤバかったそうで、かなり緊迫感のある出産になってしまったのですが、やはり命が生まれるというのは大変な現場でした。
無事に母子ともに健康です。

男の僕には想像することしかできませんが、大変な思いをして産んでくれた妻に感謝です。

産後しばらくは入院なので、病室でこれを書いています。
夜中も3時間おきにミルクあげないといけないハードスケジュールなのです。
世のパパママは大変な思いをしていたんだなあ・・・

 

「おっちゃん」と「おじさん」

昨年甥っ子が産まれた。
僕ももうおじさんである。

出身が関西なので、僕は自分の叔父のことを「おっちゃん」と呼んでいた。
地元の友人なども甥っ子が生まれたやつが何人かいて、「俺もついにおっちゃんですわ」みたいな会話をしたり。

ところで、嫁は叔父さんのことを「お兄ちゃん」と呼んでいる。
どうやらそう呼ぶように教えられたらしい。

おにいちゃんと呼ばせる理由は、「おじさん」と呼ばれるのがいやだったから、らしい。

僕は以前これが理解できなかったが、最近ようやく理由が分かった。
そもそも一般的に「おじさん」というのはカッコ悪い認識があるみたいだ。

なんで?おっちゃんってカッコよくない?

僕の親戚のおっちゃんはバーベキューとかで活躍したり、すごくいろんなこと知ってたり、大人になってからも美味い酒の飲み方を教えてくれたり、尊敬できる人生の先輩だ。

大阪では友だちのお父さんもおっちゃんと呼ぶのだが、友だちのおっちゃんも、面白い話で笑わせてくれたりしてPTAの行事で楽しませてくれたり、みんなに慕われていた記憶がある。

親戚のおっちゃんも友達のおっちゃんも、カッコよかった (もちろん全てのおっちゃんがではないけど)

この自分の感覚と、世間一般のおじさん=カッコ悪いという認識の違いは一体なんなのか。

どうも「おじさん」と大阪の「おっちゃん」は違う概念のようだ。

「おっちゃんになってしまった」と喋る友人たちはみんな、歳をとってしまったという焦りとも憂鬱ともつかないネガティブな感情だけでなく、「子どもの頃憧れたカッコいい存在になれた」という一種の誇りというか自信というか、そういった嬉しげなニュアンスを持って語るのだ。

「おっちゃん」と言うのは、子どもの頃憧れたような、カッコいい存在なんだ。

甥っ子くんはまだ喋れないけれど、僕も早くおっちゃんと呼ばれるようになりたいものだ。

 

日曜日はおやすみ

クリスマスまで毎日更新するとか書いときながら早くも休んでしまった。
とりあえず日曜日はおやすみというルールでいこうと思います。

いや、昨日書こうとしたんですけど、書くことがなかったんですよね。
いや、正確にいうと、日付が変わるまでに書き終われそうな適度な話題がなかったんですよね。

とりあえず、今後書きたいと思ってることをリストアップしておきます。

  • クリスマスと年末年始
  • おじさんとおっちゃん
  • ビールの食べ物に合う率の高さ
  • なくして初めて気付く大切なもの(風呂のドア)
  • 美容院でどのように注文すればよいのか

今日はここまで。

 

カップラーメンのおいしさ

カップラーメンのおいしさ

カップラーメン美味しいですよね。

昨日(というか今日)は、夜中にダラダラとビデオを見ながら夜更かしして、朝4時くらいにお腹が空いたのでカップラーメン(日清カレーヌードル)を食べてしまいました。

カップラーメンに限らす食べ物の美味しさって、単にそのものの味ではなく、雰囲気に左右されるものだと思います。

高級なレストランできちんとサーブしてもらった肉料理は美味しいし、がちゃがちゃした汚い居酒屋で威勢のいいおばちゃんが出してくれるお昼の定食は美味しいし、気のおけない人と一緒に食べる何気ないご飯が美味しい。

雰囲気というのは最高のスパイスだったりするのです。

何が言いたいかというと、徹夜明けの明け方に食べるカップラーメンって最高だと思うんですよね。

こんな時間にこんな高カロリーなものを食べてしまって良いのだろうか、という背徳感こそ、カップラーメンを美味しく食べる最高のスパイスなのではないだろうか。

なんてことを考えて、夜中にカップラーメンを食べることを正当化しているのでした。

おわり。